かんがえています。

12時くらいまでKさんと話をしていて、マックで。いろいろと考えることは尽きないのだけれども、自分のこととか考えていることをもっともっと出していかなきゃなと思いました。

その方法として、結果としては創作の場での意見出しとか、役者としての己の強さにつなげたいのだけれども、わたしは日々自分のことを話すことをだいぶ自制しているので、もしかしたらそこを開示するのがまず大事かもしれないと思い、このキビダンゴブログの第1個目の記事として書くことにしました。

おはなし部屋だと行使いすぎるので、ここに書きます。

 

稽古場で記憶を引っ張り出す時に石橋はよく嫌な感情を伴った思い出とか、きつい言葉を使ったりすることが多いと感じているのですが、わたしの記憶の根源は「こういうことがあっていやだったな」「これをやって怒られたな」「こんなことをしてはずかしかったな」です。純粋に嬉しかったり楽しかったりしただけの記憶がないです。
学生時代のことはもちろんそうで、こういう性格だから自由気ままにずばずばモノを言ったり行動したりして男子を泣かせること、先生を怒らせることももちろんありました。しかしながら自分的にはずっとずっと、自分は周りの人を良く見れるし能力もあるので、引っ張ったり、いやな役をやるのは自分だと思ってきていて、それは今も変わっていないです。保育園の時から知能的にマセてるこどもだったから、本当に昔からそうだったのでしょう。ゆうちゃんが、「手のかかる子の担当をやらされてて、でもその代わり、違うところで特別扱いをされてた」と言ってましたが全くその通りだった。わたしは先生がずるいとかは思ったことなくて、逆に、自分から進んでそういう子の隣の席になっていたし、むしろそういう子を嫌ってる奴がその子の隣になって「あいつマジきもいよな」とか言うのを見るのがすごくいやだった。

という記憶がありながら、一方で、わたしは好きな席を選べなかったな、と思ったりするのが石橋です。自分の思いがあって、自分で選んだ行動だったのに。

成人式もそう。地元にいる人たちの方が実行委員でいろいろ手配しやすいはずなのに、直前になってもお店や会費や、お世話になった先生への連絡が何もできていなくて、わたしと、わたしの友達たち(みんなその時、大船渡じゃなくて盛岡にいた)がいろいろ準備して、当日の会もわたしたちが実行委員みたいになっていたなあ。会が始まってからも、お金の清算とか、先生に挨拶をお願いしたりとか、しなきゃいけなくて。中には、飲み物の注文を自分でしないで私にしてくる人もいて、マジでこいつらわたしのこと同級生だと思ってないな、スタッフの人だと思ってるな。となりました。

そりゃあ、進んで裏方に回ってる奴がいたらみんな甘えるよね、って思います。

中学の同級生たちは保育園から一緒の人達だから、すごく大事に思ってるけどわたしはこれまでのことをずっと覚えていてすごくいやだったので、純粋な気持ちではいられない。でも大切だしいい奴らだと思っている。

こんな風に、誰のことも嫌いになったことがあるので、「みんな幸せになってくれよな」の時期と、「ほんとうにみんな嫌いだ、誰も味方なんていない」の時期を繰り返す日々です。周りの人たちは、私から1回は嫌われたことがあると思ってもらっていい。
あんまりよいことじゃないけど事実です。「いやだ」と思うポイントが人よりも多めかもしれないですね。

なので最近は「嫌いなひと」を存在させないようにしています。
「この人嫌いだ」と思わないようにしています。

 

人の輪に入っていくのもすごく苦手で、1対1以上の人数になった時がとても苦手です。仲いい人はすごくよくわかってると思いますが、1対1の時には超仲いい人と、同じく超仲いい人と3人になった途端に、わたしは話さなくなります、おそろしく聞き手になります。自分以外の2人がいる場ではわたしは必要ない、邪魔だ、と感じる。

大人数になればもっとです。誰かと誰かの会話に口をはさむのは、邪魔な行為だし、苦手なので、1対1の矢印しか作れません。考えがないのではなくて、考えはちゃんとあるけど喋ることを諦めています。

昔、友達を初めて家に呼んだ時、4人くらいの複数人で遊ぶ方法がわからなくて、みんなででっかいジグソーパズルをやったことがあります。わたしの中で楽しいことがジグソーパズルだったからそうしたけど、友達たちはつまらなそうだったし、もっと何か、ゲームとか、違うものを普通の人はやるもんなんだなと後から思って、とってもトラウマになりました。むずかしい。

彩乃ちゃんの時も、車高の低い車に乗ってる航大くんの時も、わたしは「この人との会話を盛り上げなきゃ!って思った」って言っていることに気が付きました。自信がないんでしょうね。自分に。なんでこの人私と遊んでくれるんだろう、とか、なんで私この飲みの場に誘われたんだろう、場違いだな。と思う毎日です。

稽古場。
稽古場もストレスは多いです。楽しいこともたっくさんです。

今回の芝居に出る他の3人との関係は、サクラオオオみたいになりそうだなと思っています。私1人ちょっと浮く。打ち明けると、他の3人がみんな細いので、一緒の舞台に、しかも神奈川で立つのすごく、うわーーー‥‥‥と思っています。見ている人は誰もそんなことを気にしていないし、プロとして立つんだから関係ないぞ、と思える自分もいるんだけど。自分の写真を見ても「哀れだな」と思うことしかないので、見た目問題、石橋は自分で自分に超厳しい。困ったもんだ。
こういうことを話すと他の人は「そんなことない」と言うしかないし、そう言ってくれるので、いつも黙っている。

稽古を見ている人がすごく多いのも、正直わたしはあんまり得意な場じゃない。
情報が増えて、いろんなこと、言動が気になるから、また黙るようにしてる。
腕を組むのは自分の心の中の暴言が出ないように自制してるのと、自分の軸を保とうとしているからだなと思いました。ただ単に考え事をしている時もあります。

アーバンの時は、ゆうちゃんがわたしと同じような考え方だったり、集団での居方だったので、うまくばらけていて居やすかったんだけども、レーンは、似てる3人と、石橋。誰かと一緒にいるのがデフォの3人と、誰とも相容れないで1人でいる人。と、なりそうだなと思っているし、現に、稽古場でもそうなっているので、今回はそれをうまく利用していきたいと思っています。うん。日中の稽古があったりして、そうなっていくのは当然なので、なんかプレゼンスとしてアクセントになれたらなと思っています。

その分、話し合いとか、意見の擦り合わせは時間を割きたいですね。

本当に、最近とか今思っていることをここまで書いて、ネガティブなことばっかりでマジごめんと思っています。ああ、、、読んだ人ごめんなさい、、ありがとうございます。わたしが仲良くしていてよく自分の意見を話す人、青葉さん、温斗くん、こういうの聞くと絶対に不快にさせてしまうから話すのやめていました。傷ついた表情にさせてしまって、「ごめん、、、」となってきたこれまでです。

母親や、職場の同期には「悩みとか愚痴は全部言った方がいいよ!言いな!」と言われるし、村田や新沼にも「何が気に入らないんだ、ちゃんと言ってくれ。」「なんで自分のことそういう風に言うんだ!」と怒られること(友人としてわたしのことを大切に思ってるからこそ怒られること)が多々です。みんなごめんね、ありがとう。
だけど、なんかわたしはあんまり、うーん。でも、実際そのまま聞いたら不快でしょ?って思うから、喋るのを日々やめていっている。最近喋れる相手がいなくなって、困っているのも事実。難しいね。

わかんなくなったや。

つまりは!!エピソードとして出すものが、ハッピーじゃなくてすまん。
っていうのと、しかしながらわたしがわたしの真実の言葉で話すとしたら、普段外に見せているような黄色とかそういう色合いじゃなくて、隠してる汚い色の部分が本当はいっぱいあるよ。でも、みーんなそうだよね、いろんなこと隠して暮らしてるよね、石橋もそうしなね。って思っている。思っています。ということでした。せのびがやりたい演劇のことを考えながら濾過します。

おわりです。